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In conversation with... ヴィオレット・ヴェルディ
昨夜(4/28)、オペラハウスの最上階にあるクロア・ステュディオで開催されたイベントに行ってきました。

20世紀を代表するバレリーナの一人、ヴィオレット・ヴェルディが自身のキャリアを振り返って語るトーク・セッション。聴き手は元BRBプリンシパル、現RBカンパニー・マネジャーのケヴィン・オヘア。

シルヴァー・ヘアを綺麗にセットして、黒のブレザーに同じく黒の膝下丈スカート姿で会場にあらわれたヴェルディさん。さっぱりした雰囲気の方で、一見すると一般人とあまりかわりなく見えたけれど、黒のストッキングに包まれた脚が美しかったです(さすが!)。時折身振り手振りを交えながら、表情たっぷりに語ってくださいました(約80分間)。

(会場で渡されたハンドアウトにヴェルディさんの経歴が記されていてこれも紹介したいのだけど、とりあえず、忘れないうちに発言内容で印象に残ったものをメモしておきます。以下、走り書きしたメモ&記憶を元にできるだけ正確な再構成を試みますが、当方の聞き間違いor解釈違いということが十分有り得ますので、"大体こんな感じのことを語られていたようだ"ぐらいに取って頂きたく・・・。)

<キャリア初期について> 

V: 1930年代生まれ、生後わずか4ヶ月の時に父が他界。占領下のパリでバレエを習い始めた(恩師として特に頻繁に名前が出てきたのが、Victor Gsovsky)。プロのダンサーとして初めて舞台に立ったのは(なんと!)11~12歳のとき。一時期ローラン・プティのところでも踊っていたことがある。プティは感情の起伏がある人だけど、同時にダンサーにとって働きやすい雰囲気もつくれる人。凄く若いカンパニーで、ダンサー達は皆ハングリーでエネルギーが漲っていた。

そのあとロンドン・フェスティヴァル・バレエやABTで踊ったり・・・キャリアの最大の転機が訪れたのが、NYCBに入団した1958年。
 
<NYCB、バランシン、ロビンスについて>

V: どこかのバレエ団で踊っているところをバランシンにヘッドハントされたというわけではなくて・・・Mr.Bはそういう方法は絶対にとらない人だった。なんというか・・・どんなに欲しいダンサーがいても、状況が自然とそうなることを待つ、というアプローチ。当時私はどこにも所属していなくて、それでも既にバランシン作品を踊った実績はあった。で、Mr.BからNYCBに来ないか、と誘われたのだけど、驚いたわ・・・ショックだった。

だって私、バランシン・バレリーナは例外なく手足がすんなりと長くて・頭がちっちゃくないといけない、ってずっと思い込んでいて、自分は全然違うタイプだったから。(注:ヴェルディさんは当時の水準からいってもかなり小柄な方。)《O: 最初からプリンシパルで迎えられたんですよね?》 そうなの!まったく、信じられない話だったわ。

NYCBに入団して、一番最初に踊った作品は「シンフォニー・イン・C」、そして「ディヴェルティメント」・・・。暫く後にデヴィッド・ブレアと「チャイコフスキーpdd」を初演したわ。この作品は「白鳥の湖」の原版に入っていた本来のブラック・スワンpddの音楽を使っているでしょう。このスコア、長年博物館に埋もれていたんだけど、NYのチャイコフスキー財団のピーター・マーシュが偶然見つけたのよ("幸いボルシェヴィキはスコアを焼かなかった!")・・・それでMr.Bがこの音楽に振付たわけ。

《会場の男性から出た質問: 『Mr.Bは振付の過程でダンサーの即興的な動きなどを認めていたか?それとも非常に厳格な決まりがあってそれに従うだけだったのか?』》

V: Mr.Bは、「これは自分の振付作品だから誰にも触れさせない」っていう類の振付家とは対極にあるタイプ。ダンサーがやり易い・得意な動きを使う方向に常に持っていくの。
ああして・こうしてと一方的に指示したりはしないし、本当に"selfless"(無私)の人だった。自分は自分の与えられた天職を全うするだけ("I'm at a service...")、という姿勢。構想中の作品にぴったりのダンサーさえ見つかれば、あとは流れるようにことが進んだ。("flowed, flowed, flowed...") ダンサーに何か助言するときもいたってソフトにアプローチして、「君("Dear")、ね、あの部分はこんな風にしてみてはどうかな・・・?」と、問いかけるスタイル。

V: ジェリー(・ロビンス)は全然違うタイプ。彼は複雑で、気難しくて・・・大変な完璧主義者で、創作過程で自分を極限まで追いこむのが常だった。「ダンシズ・アット・ア・ギャザリング」初演の時、私は"グリーン"を踊ったんだけど、ジェリーが、ほら こんな風にするんだよ・・・って見せてくれる動きが、それはもう凄くキマっていて。アメリカ人ならではの、ちょっと突っ張った・粋な感じ("swaggering")が素晴らしかった・・・自分には絶対あんな風には踊れない、って青くなったわ。

「ダンシズ・・・」で思い出すのは、ヌレエフとこの作品で共演した時のこと。彼が私のパートをえらく気に入って、真剣にリハーサルしてたのよ。その様子を他のダンサー達と、「ルドルフったら本気であの《女性の》パートを踊るつもりなのかしら?」って興味津々で見ていたものよ。

《O: 昨シーズン、「ジュエルス」がロイヤル・バレエのレパートリー入りしましたが、貴方は「エメラルド」の初演者の一人ですよね。この作品について何か思い出がありましたら・・・。》(注:ここで、話している二人の背後に置かれたスクリーンに、以前このブログでも紹介した「Mr.Bを囲むジュエルス初演の美女たち」の写真が映し出される。)

「エメラルド」といえば、Mr.Bの創作過程は非常にスローだった・・・と言ってもいいかもしれない。なんと、初演から10年後に、小さなpddを一つ付け足そうとしたの!結局それは実現しなかったけれど・・・。《O: もしかしたらそのヴァージョンを上演しているカンパニーがあるかもしれませんね?》 そうね、どこかにあるかもしれない。

<パリ・オペラ座バレエ芸監時代>

(76年にNYCBを退団(引退)して翌年パリ・オペラ座バレエ団の芸術監督に就任する。)

V: オペラ座で私がやろうとして出来なかったことの一つが、マクミラン作品の上演を成功させること。私は英国の振付家の作品が大好きで、特にマクミランものをフランスの観客に見せたかった。でもあまり受けなくて・・・どうもフランス人には理解し難い振付家だったようで。若いダンサー達(ドミニク・カルフーニ等)を起用して『四季』という作品を創ったのはいい思い出。オペラ座は最初の一年はまぁよかったんだけど・・・厳格なヒエラルキーや組合ルール等対処しなければ問題が山ほどあって。

私はどこで何をしていても、「自分が一番じゃなきゃイヤ」なんて風には全然考えないタイプ。NYCBは(ヒエラルキーがゆるくて?)ある意味ダンサー皆が等しく一番になれる雰囲気があって、私にとっては心地良い場所だった。パリ・オペラ座バレエの芸術監督を3年で辞めて、そのあとボストン・バレエの共同監督になったのだけれど、結局これらの経験を通して自分にはディレクター職は向いていない、と悟った。

《会場の女性から出た質問: 『ダンサーからディレクターに転身されたわけですが、最も難しかったことは?』)

V: 決定を下すこと・・・"迅速な"決定を下すことね 自分の周囲の人々を窮状から救うために。あとは、アドミニストレーション(実務方)との闘い!

<バレエ教師の仕事について>

V: 私自身は系統だったスクーリングを受けた経験はない。様々な流派の教師について多様なスタイルを学んだ・・・。だから、私のティーチング・スタイルは一言で言うと"フレンチ・ポトフ風”。生徒の長所などを嗅ぎつけるのが得意な方だと思う・・・教えることは、本当に大好き。《O: 貴方はボリショイ・バレエ団に招かれた初めての外国人女性教師だったとか?》 そう、ラトマンスキー氏に招聘されたんです。ボリショイのダンサー達に「素早い足の動き」を教授してほしい、ということで。

現職はインディアナ大学・ブルーミントン校の音楽学部教授("Distinguished Professor")。音楽学部の中にバレエ科があって、プロのダンサー・振付家の養成を目的とした本格的なコースです。高等教育レベルでシリアスにバレエを学べるのは素晴らしいことだと思うわ。学習環境にも恵まれていて、学内に自前のシアターやオペラ・カンパニーまであるんですよ。大学のある9月から5月までは大学生達に教えて、夏の間は世界中回ってプロのダンサー達を指導する・・・という生活を送っています。

☆☆☆

昨夜のオーディエンスは、ざっと見積もって5-60人といったところだったでしょうか。圧倒的にシニア・シチズンが多かったのですが、客席からの質問・コメントは、「ひょっとして貴女は○○年のxx公演で踊っていませんでしたか?」とか、「○○年に貴女が踊ったxxは素晴らしかった」という類のものが多かった。(で、この○○部分に入るのは6-70年代。)会場には古き良き昔を懐かしむムードが漂っていて、私には(残念ながら)彼等と思い出を共有することはできないわけだけれど、多分そう遠くない将来自分も同じことをしてるのだろうな・・・という気がしたり(笑)。

☆ヴェルディさんが現在所属されているインディアナ大学のHP。左コラムの"Faculty"をクリックすると教授陣の紹介ページに飛んで彼女の写真(&ミニ・バイオ)を見られます:

http://www.music.indiana.edu/department/ballet/
2008-04-30 08:43 | 情報系(ニュース、公演) | Comment(4)
Comment
Naoko Sさん
素敵なイベントのご報告、ありがとうございます。「ヴィオレッタとMr.B」の映像がわっと甦ってきました。今もお元気でご活躍なのですね。チャイコフスキー・PdDは彼女が初演キャストだったのですか。数年前のPOB「バランシン&ロビンスプロ」のチャイPdDの所に彼女の写真がのってましたね…。
ロビンスとMr.Bのキャラの違いもとても興味深いです。最近NYCBのサンクト・ペテルブルク公演を中心としたドキュメンタリーを見たこともあいまって、なんだかバランシンものを生で観たくなってきました。Naoko Sさん、ミックス・プロ、いらっしゃいますよ…ね?
あーん、こんな粋なイベントが開かれるロンドン(やパリ)が羨ましいです!
Bera 2008/04/30(水) 11:06:36) 編集


Beraさん

>>「ヴィオレッタとMr.B」の映像

私この映像見たことがないんですよ・・・。会場でもちょっと話題になっていて、お客さんの一人が、"あのフィルムはとても面白かった"と水を向けると、ヴェルディさん少し撮影当時の話をしてくださいました。最初ドミニク・ドルーシュ監督にアプローチされたとき、「なぜ私を??テスマーとかポントワとか自分より若いダンサーたちがいるのに・・・」と逃げ腰だったんだそうです。それをドルーシュ監督が、彼女達にも後々お願いするかもしれないけれど、まず貴方を撮りたいんだ、って口説いたんだとか。で、"10年後に撮られるよりも今のうちにしておいた方がいいかも・・・"と考え直されたのだとか。"私ったら一旦カメラを向けられたら喋りに喋ってしまって・・・話し過ぎたわ!"と笑っておられました。

>>Naoko Sさん、ミックス・プロ、いらっしゃいますよ…ね?

ミックスってパリオペの方ですよね?(笑)ハイ見ますよ~一回だけだけど。その後ロイヤルのミックスも見ます(「セレナーデ」が入ってる)。

>>あーん、こんな粋なイベントが開かれるロンドン(やパリ)が羨ましいです!

こんなビッグ・ゲストはなかなか来て下さらないですけどね~特にバレエ系はあまりないような・・・。ちなみに次回のトークは5/14(水)開催、ゲストは(イケメン)・テナーのヨナス・カウフマンです~。
Naoko S 2008/05/01(木) 06:52:51) 編集

MR.B。私が思っていた方とはかなり違いますね…。もっと絶対的な方かと思っていました。MR.Bと美女達の写真はホントに美しいですよね。大事にファイルしてあります。
貴重なお話しを紹介していただき、ありがとうございます。NaoKoさん、同感です。私も、近い将来、集まったシニアの方々の仲間入り出来そうです。Dancerと一緒に語らいたいなあ。「あの時は実はね~」なーんて昔話を一緒に。
まりあ 2008/05/01(木) 18:36:08) 編集


>>MR.B。私が思っていた方とはかなり違いますね…。もっと絶対的な方かと思っていました。

ほんとですよね。勿論威厳のある顔ももっていらしただろうとは想像しますが、少なくともヴェルディさんの記憶の中のMr.Bは常に素晴らしい紳士だったようで・・・

>>Dancerと一緒に語らいたいなあ。「あの時は実はね~」なーんて昔話を一緒に。

いいですね~ 私も参加したい(笑)。会場で大多数を占めていたヴェルディさんと同年輩の観客の方々、なんかほんとに楽しそうで和やかな雰囲気だったんですよね。一緒に成長する、というか同じ時代を共有するアーティストの存在って、やっぱり格別ですよね・・・。
Naoko S 2008/05/02(金) 06:35:11) 編集

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