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パリ・オペ「嵐が丘」レビューの前に・・・極私的・嵐が丘論
まさか、この目で実の舞台を見るとは思ってなかった「嵐が丘」。確かパリでは今回で三度目の再演だけど、この作品はずっと避けて通ってきたのに・・・思いもよらぬジャン=ギー引退のニュースに、いよいよ対峙せざるを得ない状況となってしまった。

なぜそこまで逃げ腰だったかというと、原作に思い入れがありすぎるため、過去に映画・ドラマ化された「嵐が丘」にことごとく落胆させられていたし、もうこれは何で見ても同じだろう・避けたが無難、と学習してしまっていたので。(唯一の例外はケイト・ブッシュによるポップ・ミュージック版・Wuthering Heights。ティーンエイジャーで初めてこの本に出会ったちょうど同じ時期にこの曲が大ヒットしていて、音楽との相乗効果でより作品にのめりこんでしまったという経緯がある・・・)

「嵐が丘」のヴィジュアル化が何故難しいかというと、私的には答えは簡単で、文学史上この作品を極めてユニークな存在たらしめている、作品の最も根源的なファクター・メタフィジカルな部分を、映画やドラマという形式で表現することにそもそも限界があるから。この点、抽象芸術である音楽を媒体に使えたケイト・ブッシュには最初からアドヴァンテージがあったといえる。キャシーの一人称で歌われ(語られ)る彼女の「嵐が丘」には、エゴイスティックで残酷な子供のまま死んでいったキャサリン・アーンショーの、無心にヒースクリフを求めるパッションのみが横溢していて、そこには確かに小説の芯の部分と同調する何かがあったのだ。(ところで、全くの余談だが、ブッシュの「嵐が丘」がリリースされた年を確認するためにWikipediaを見て初めて気づいた。エミリー・ブロンテとケイト・ブッシュって誕生日が同じなのね!二人とも7月30日生まれ。)

十代の私を金縛りにさせた(この本を読んだあとかなり長いこと、私はキャシーに取り憑かれていた!)この小説のメタフィジカルな部分を最も端的に描写しているのは、言うまでもなく、キャシーがエドガー・リントンに結婚を申し込まれた直後、家政婦ネリーに「信仰告白」する場面。

キャシーはネリーに先日見た夢の話をする。夢の中で自分が天国にいて、それが嫌で嫌で堪らなくて地上に戻りたいと泣いていると天使達が怒って彼女を下に突き落とす。気がつくと恋しいムーアのただ中に戻ってきていて、嬉し泣きしている。(この部分がキリスト教徒らしからぬ異端的発言とみなされて、小説の発表当時批判の対象になった。)世の中の価値観や道徳観から自由な、キャシーのアナーキーな本質が露にされるシーンである。

続いてキャシーは、ヒースクリフに対する自らの思いを吐露する。エドガーに対する自分の"恋心"はとるに足らないもので、時とともにうつろっていく類のもの。それに引き換え、ヒースクリフへの思いは不変の岩のように終生かわることがない。なぜなら、「私は彼」なのだから("I am Heathcliff.")。

このキャシーの一言が読者を打ちのめし、突如「嵐が丘」は小説という枠を超えて別次元にワープしてしまう。「自分自身以上に"自分"」である他者の存在を激烈に希求し、その情熱(執着)で身を滅ぼしたキャシーと、そのキャシーに滅ぼされたヒースクリフ。世に自らの分身(俗な言い方をするとソウル・メイト)の存在を熱烈に求める心性を描いた文学作品は少なくなかろうが、自己と他者の「完全な」同一化を作品の核に置いたもの・・・なかなか他には見当たらない。これがエミリー・ブロンテの異質性であり特異性であり、嵐が丘という作品の本質部分である(と思う)。その他の部分(ナラティヴ)は、殆ど飾りだ。

ただ、表面的には、「個性的な登場人物に彩られた・二つの家族の三代にわたるどろどろした愛憎劇」と読めないこともないので、映画やドラマ化に際してこっちの解釈が優勢になると、とんでもなく陳腐なメロドラマに堕す危険性がおおいにある。

で、いよいよ本題ですが・・・パリオペ・エトワールのカデル・ベラルビが振付けた、バレエ版「嵐が丘」。もちろん個人的感心は、振付家が上記の「本質部分」をどう見せてくれるか、の一点に集中している。興味深いことに、ベラルビは以前ゴッホ兄弟(フィンセントとテオ)の往復書簡にインスパイアされた振付作品を創っている。「嵐が丘」とテーマに相似性が感じられないこともなく(ゴッホ兄弟は実在した稀有の"ソウル・メイト"同志)、言葉のないダンスという媒体を使ってどんな表現をみせてくれることか、かなりの不安と一抹の期待をもって観劇に臨んだ。

<続く>
2007-10-09 05:53 | パリ・オペラ座バレエ | Comment(4)
Comment
ケイト・ブッシュの「嵐が丘」!!!!懐かしいですね。私も大好きでした。彼女の声が作り上げる世界観は無二のものでしたね。
カデールの「嵐が丘」は放送されたときの録画があるのですが、私も思い入れが強すぎてなかなか見られません。確かに、何度か映画化されていて、見ていますが裏切られることが多かったですよね。特にジュリエット・ビノシュは苦手でした。
オペラ座版はこの機会に見ようかな・・・。
naomi 2007/10/09(火) 09:52:59) 編集

なんか、サスペンス小説を読んでいるようなNaokoさんの「嵐が丘論」。本編、楽しみにしています。
守屋 2007/10/09(火) 14:13:05) 編集

興味深い「嵐が丘」論、ありがとうございます。数年前に出た新訳を読んでみようっと。ケイト・ブッシュの「嵐が丘」も懐かしいです。水村美苗の「本格小説」も一気読みしましたし、多くの人が「嵐が丘」には格別の思いいれがありますよね。
それからすると、naomiさんがあげたビノッシュのキャシーは許せないものが・・・。見たとき「フィルム焼いてやりたい」とさえ。バレエ評が楽しみです。
shushu 2007/10/09(火) 23:57:24) 編集


naomiさん、お若いのにケイト・ブッシュご存知なんですね!昨夜久しぶりに"Kick Inside"を聴いてしまいました。ほんっとーにいいアルバムですねーこれ。名作です。中でも「嵐が丘」は・・・特に最後の部分、何度聴いてもゾクゾクしてしまいます。

ああそうだ パリオペの嵐が丘は映像になってるんですよね。覚悟の上(?)、今度ちらっと見てみてくださいませ。


守屋さん こんばんは。えっ、「火曜サスペンス劇場」になってました??長い前置き書いたらなんだかどっと疲れちゃいました。本編しばしお待ちを・・・


shushuさん こんにちは。私はビノシュの主演した映画は見ていません・・・公開された当時既に"逃げ腰モード"に入っていたと思われます(笑)。(しかし、フィルム焼いちゃいたくなるほど酷かったんですか 見てなくてよかったあ。)
Naoko S 2007/10/10(水) 07:05:21) 編集

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